Sunday 13 March 2011

日本の災害のため、寄付お願いいたします。




Facebookを使ってる方へ、このリンク(http://www.facebook.com/pages/HJSJ-Help-Japan-Save-Japan-Community/185499611493724)をクリックしてページに参加して応援してください!そのページは、僕は日本を救いたいのために作りました。

Facebookを使わない方は、よろしければ、以下のリンクをクリックしてみてください。

(寄付とボランテイア)
http://crashjapan.com/
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/12/news002.html
(英語サイト)
http://sg.news.yahoo.com/5-funds-japan-earthquake-relief-20110311-141000-050.html

http://www.accir.org.au/

よろしくお願いします!

Monday 7 February 2011

マレーシアに到着~

みんなさん

おかげさまで、ケントは先週の月曜日にマレーシアに無事に到着しましたー!!
帰ってから、すぐに持って帰った荷物を片つけて、部屋を掃除していました。
2週間前に日本から送った3つの郵便も届きました!すべての大切なものが無事でほっとしました。(海賊に盗まれないでよかったな~ww)

ちょうど帰ったの週は中国のお正月なので、いろいろなことも準備していました。リビングルームを掃除したり、お客用のお菓子と飲み物を買いました。帰ってきたら、ゆっくり休まないで大変忙しかったねー
けど、久しぶりに家族とお正月を準備するのが楽しかったです。

お正月は2月3日でした。そうですけど、中国のお正月の祝いはスタート日から15日目まで続けます。他の国のと違いますね。ですので、今年のは2月18日までです。
お祝いは家族によって違います。普段は毎年のお正月に僕の家族は近い親戚の家に訪問します。一緒にお正月のスペシャルなテレビ番組を見たり、チャットしたり、トランプとかマージャンでギャンブルします。

マレーシアの中華系の人には、お正月にギャンブルはとても普通です。宝くじようなギャンブルをする人も多いです。毎年のお正月にほとんど皆は「新年あけて、もっともっとお金持ちになりたいー」っていう祈りをしますね。それに、皆が祈ってる神様は特別ですよ。そういう人をお金持ちになれる神様は「チャイ・シン」と言います。日本語に翻訳したら、「富の神」と言います。僕は自分と家族の健康と世界の平和だけが欲しいので、あまり毎年そういう神様のことが気にしません。(笑)

今日は新年の第5日目です。いっぱい久しぶりなおいしいマレーシア料理を食べてました。種類が百以上ありますので、まだ「満腹美味しい旅」を続きますよー!1ヶ月で仕事をしないでゆっくり休むつもりですので~ (笑)

そう言うと、お腹がぺこぺこに成っちゃいましたねー (笑)
じゃあ、今日はここまでです。今度もっと写真とかビデオをここにアップするので、また是非来て読んでくださいねー! (^^)v

皆さん、お元気でねー

バイバイー!


Tuesday 4 January 2011

新年あけましておめでとうございます! Happy New Year 2011

みんなさん!2011年あけましておめでとうございます~!^^

いろいろなことがあったので、ブログを書くのは数週間ぶりですね。
皆さん新年に実家に帰りましたか?旅行に行ってきましたか?
僕は、ずっと東京にいましたけど、友達に会って楽しかったです!
31日に友達と増上寺の広場でカウントダウンをしました。人が多くて、みんな興奮していました。
その時、3000名だけ「お願い風船」をもらえるって掲示板に書いてありました。残念なことに、僕たちの晩御飯が終わるのが遅くて、もらえるの間に合いませんでした。神様にお願いすることがいっぱいありましたのに。。。 www

以下は当時に撮った写真です。(^^)





願い風船を書けなかったけど、他のもらえた人風船を放のを見ても興奮しました!自分も頭の中でしっかり祈りましたよ!「世界は平和に」って祈りました!WORLD PEACE~!!(^^)v

その後、人々はそれぞれ帰っていきました。僕たちは近くのカラオケ館に行って朝の5時ぐらいまで歌っていました。自分はカラオケが大好きですから、何回歌い続けても疲れなかった。2011の新年を友達と過ごせてとても楽しかったです!

 皆~!今年もよろしくお願いします~! \(^0^)/


Sunday 12 December 2010

僕と僕の日本語 Me and My Nihongo

こんにちは~!ブログを読み続けてくれてありがとうございます!(^^)v
先々週書いた内容はちょっと悲しかったみたいですね。お父さんのことを思い出したら自分も書きながら泣いてしまいましたね。あははは~
実はもっと「自分の後悔」を書くつもりでしたけど、やっぱり今回はスキップしちゃいます。また今度書きます。 (^^)>
今日の話は「日本語」です~!

人によって違うと思いますけど、僕には日本語は難しいです。
日本語の中に、尊敬語、謙譲語、敬語、カジュアル、関西弁等のいろいろなパターンがあります。
日本に来て、最初にいっぱい覚えた言葉はほとんどカジュアル言葉でした。新しできた日本人の友達から教えてもらったし、テレビの笑い番組の影響もありますし。簡単なカジュアル言葉は覚えやすいですからね。

基本的には誰にでも仲良くしたいと思っていましたので、尊敬語とか気をつけないといけない日本語とかを考えないで率直に言ってしまっていました。敬語を使うと、人と人の間で「壁」を作られちゃうんだと思っていましたので、いつも年齢や立場を考えずに誰とも友達になれるように簡単なワンパターンの日本語で話していました。でも、実際は、それはあまりよくないことに気づきました。

前の会社にいい人がいっぱいいました。皆さんと会話の時に辛かったけど、いつも通り頭で最初言いたい言葉を英語から日本語に変えて話していました。でも、分かる日本語の語彙が少なかったので、いつも一番近い意味の簡単な言葉を使って説明しまっていました。時々分かってくれましたけど、本当の意味を間違えられた可能性も結構高かったと思います
特に仕事の打ち合わせの時に、自分意見とか気持ちとかを分かりやすくように説明できなくて、とても悔しかったです。
それに、仕事では会話の相手によって違った日本語を使わないと、気を悪くされる可能性も高いですね。実際にそういう経験があります。わざとじゃないと分かっていると思いますが、相手はの気持ちが分からなかったかもしれません。

とにかく、日本語がうまくなかったせいで、いろいろなことで悔しい思いをしました。(涙)

でも、日本語のマスターが遅いと言われても、また誤解されても、いつか、日本語をマスターして、絶対にもっと日本人仲良くできるようにしようと思います
その目標のために、このブログを始めました!本当のケントのことを皆さんに紹介したいので。 (^^)>

できれば、前のケントの印象を一回消して、新しいケントに会って欲しいです! v(^ ^)v

p/s: いつもこのブログを読んでくださる日本語の先生にブログの言葉の間違いをチェックして頂いて本当に感謝します!先生~!ケントは頑張りますよ~! 0(^ ^)0

 ~ つづく ~


Saturday 27 November 2010

後悔 My Regrets

後悔することはしたくないけど、今まで自分の人生いろいろなことに後悔しました。

後悔1 ー 「カンニング」
小さい頃(小学校4年生時かな)、ある試験の日、後ろにいたクラスメートに僕がカンニングしているところを見つけられて、彼は直接試験担当の先生に報告しました。そして、他のクラスメートが試験を続けているところにその子と先生が怖い顔で僕の近づいていました。カンニング用の紙をうまく隠したので、証拠を見つけられませんでした。先生は僕のことを信じて、「じゃあ、静かに試験を続けてください。」と言いました。結局、そのクラスメートに嫌われました。

>> カンニングしたのが後悔です。


後悔2 ー 「お父さん」
大学の3年生時に、お父さんが直腸癌になりました。あの時、僕はまだオーストラリアにいたので、病院に全然お見舞いに行けませんでした。いつも母さんからの電話で、「パパは大丈夫だよ。今毎週病院で治療を受けってるよ。心配しないで、学校で勉強集中してね、パパの病気がすぐ治るから。」と言われていました。僕何もできない状態で、毎日毎日神様に祈っていました。学校にも、買い物時も、寝る前にも。。。ずっとずっと。。。 
一年が経ちました。お父さんの健康は完全に回復しました。お父さんから電話がありました。「年末パパとママはケントの卒業式に参加しいくよ!」。そのことを聞いて感動しました。「ありがとう!神様!」と思いました。
卒業してから、僕もマレーシアに帰りました。仕事なかなか見つからなかったので、シンガポールまで探しました。結局シンガポールの会社に雇用されて、シンガポールに引っ越しました。
仕事が始まっから2週間ぐらいの後のある晩、お母さんからの電話がありました。泣きそう聞こえました。「ケント、さっきパパは入院しちゃったわぁ。。。直腸の癌が。。。またできたって。。。」と言いました。次の日、会社から緊急に休み取らせてもらいまして、バスでマレーシアへ帰りました。
間違いなく、お父さんの直腸の癌にまたなってしまいました。さらに、今度の癌の細胞がすでに他の身体の部分にまん延していました。「本当にざんねんですが、今はできることがあまりないんですが。。。薬を飲ませても、細胞調整の治療を続けても、あまり役立たないと思いますが。。。」と医者さんに言われました。心苦しかったが、男ですので、泣くのをがまんしていました。
お父さんに病院で治療をさせ続けて、あきらめないように励ました
お父さんの身体は段々弱くなるように見えました。「お父さん、心配しないでよ!お父さん絶対治るから!信じて!先週初めて給料をもらったよ。お父さん治ったら、高級レストランで奢るよ!お父さん頑張ってよ!」と。
シンガポールの仕事を始めてからそういうサプライズをして上げるつもりだったが、身体が弱くなったお父さんが何も食べられなかったので、もう遅くてなにもできなかった。。。
大体1ヶ月後、お父さんは天国に行ってしまいました

>> お父さんに親孝行(おやこうこう)して上げなくて、後悔しています


~ つづく ~


Though no one would ever want to do anything regretful, we always did eventually. At least ONE thing in our lives, are regretful.

Regret 1 - [Cheating in Exams]
I believe it happened when I was a kid studying in elementary school, year 4 I supposed.
I took out a paper or something to cheat during one of the exams that year. Unfortunately, I was caught by one of my classmates sitting behind me. He stood up and walked towards the teacher at her desk. Somehow I could sense something was wrong the moment he talked to the teacher and pointed where I sat. Immediately, I hid the cheating paper away. They both walked towards me looking so seriously on their faces while the rest of the class was carrying on working on their exam papers. I pretended nothing happened when I was asked by the teacher. After a few quick search on my desk and my pockets, they found no evidence. So the teacher asked both of us to carry on the papers. I never know what was the teacher thinking, but I was then definitely hated by that classmate. I felt guilty after that and felt absolutely regret to cheat during exams.

Regreat 2 - [My Dad]
My dad got colon cancer when I just entered my third year on University. I was then staying in Australia to complete my final year of Degree course. I was helpless and couldn't do anything to help, not even able to visit my dad in the hospital or accompany him to the therapy. The only thing I could do was talking to them on the phone and mum would always said this to me. "Don't you worry about dad, he is fine. He is now undergoing theraphy and he will recover soon. Just concentrate on your study there ok." Well, nothing much I could do that time, except praying for my dad everyday.
After almost a year, I heard that dad was completely recovered and became healthier. My dad talked to me and told me that they will come down to Australia to attend my Graduation Ceremony. I was grateful and so happy to hear the news. I felt blessed and kept thanking God granting health to my dad.
After graduation, I went back to Malaysia. I tried to find job in Malaysia once I got back, but in vain. Then I tried Singapore, and I was blessed with a new job not long after. Due to the new job, I moved to Singapore.
So little I expected, not long after I worked in Singapore, I was told that my dad was sick again. The cancer cells were back and this time it spread to other parts of the body. He had to undergo the therapy again. Immediately I called for an off day from my company and went back home to pay my dad's a visit.
"I'm sorry, there is nothing much we can do due the seriousness of the cancer cell spreading. Even the therapy and medicines won't hold him longer. Because the therapy will kill the good cells too and make your dad weaker and weaker...." said the doctor. I felt heartache when I heard that news.
Without giving up, we encouraged to continue the therapy and give dad mental support at the same time.
Dad looked weaker and weaker everyday. One day, I talked to him while he was lying down on his bed. "Dad, don't worry. You will be fine soon. See, I've just got my first earned salary last month! I will use this money to give you a big treat in a fancy restaurant once you recovered. We all will wait for you, dad. Be strong dad! Be strong....".
In fact, I already had this surprise plan to give him a a big treat once I got my first job and even before I found that he was sick again. But since he got so weak and couldn't even eat properly anymore, I guess it was too late.....
After a month or so, my dad finally left us.....
This is the biggest regret in my life.... that I couldn't give my dad the happiness he deserved.

...

Tuesday 23 November 2010

これから、僕の人生の物語です。 My Life Story starts here.

こんにちは。
まずは、つまらないブログを読みに来て下さって、ありがとうございます!

皆さんは僕のことを多少ご存知かもしれませんが、もう一度簡単な自己紹介をしましょう。(^^)v

はい!ケントと申します!本名はウォン・キー・イエン(Wong Kee Yen)でございます!実は小学生頃から「ケント」友達に呼ばれていました。友人に僕の本名をちょっと省略されました。「キー・イエン」を早口で言ったら、「ケン」といっているように聞こえます。そして、その時は、偶然に「KENT」いうタバコの広告がマレーシアのテレビとかで結構あったので、そのまま友人に「Kent」と呼ばれるようになりました。(^^;)
呼びやすいために、大学から自分の本名を言わない「ケント」で自己紹介始めました。
日本に来て、僕の名前に疑問を持つ人が多いことに気づきました。日本語が下手だったのでちゃんと説明しない、「まぁ、これは僕のクリスチャン名だからね~」と答えていました。そう言われた人が今いらっしゃいましたら、おわび申し上げます! m(_ _)m

これは簡単な自己紹介じゃないみたいですね。自分の名前のことだけでも行(ぎょう)かかってしまいました。www
すみません!では!コンティニューです!

ケントは今年は32才です!ですので、「人生の旅の第32話」をタイトルで書きました。
32ですが、心はまだ23です!(^^)v

出身はマレーシアです!日本にきて、最初のうちはいつもフィリピン人と思われていましたけど、今年「韓国の東方神起の一人のメンバーに似ている~」と言われて、とても嬉しかったです!自分でも信じられませんがうきうきしていました!wwww

日本きてから大体4年が経ちました。時間が速くて怖いです。自分の人生に後悔するようなことはしたくないんです。。。。  

~ つづく ~

Hey everyone!
Once again welcome and thanks for visiting my brand new blog which by the way may bore you to death. hahaa..

Some of you may have known me by now, but for those who doesn't, please allow me to simply re-introduce myself.
My name is Kent Wong. But my full real name is Wong Kee Yen. I believe I was called as Kent ever since I was in elementary school. I remember one of my friends pronounced my name in a quick way and turned out to be "KEN" (if you read my name "Kee Yen" as fast as you can), and coincidentally KENT ciggaratte was famous that time, and therefore they ended up call me KENT. I didn't actually use this so-called specially given name until around when I was in University. I realised that it would be easier for my new friends to call me Kent instead of having the hassle to remember my full name.

Ever since I came to Japan, many Japanese friends asked me why I had such a western name. Due to my crappy Japanese language skills, I told them it was my Christian name (though I am a Christian) to save a lot of hassles to explain the full story. Haha.. I hereby apologize to all my Japanese friends who heard this from me before. I didn't mean to lie but I just didn't want to explain too much and definitely didn't want to keep you guys waiting for me to explain a simple thing in japanese for like few minutes. hahaa..

Now, wow, it has been a long introduction even though I said it would be a simple one. hahaha..
Ok, lets carry on...

I'm 32 years old this year. And that is why I put Kent's Life Level 32 at the title bar.
I am 32 , but my heart and thinking is 23. LOL

And, I am from Malaysia. By the way, when I first came to Japan, there are some people thought I was from Philipines. Recently this year, I had been getting many "compliment" that I look like Korean guy , especially some said I look like one of the members from the famous Korean Singer Group named 東方神起. Hahaha... I was like... really?? Wow... thanks! I was so freaking joyful, though I don't really agree. LOL

Now, I have been in Japan almost around 4 years now. Time flies really fast and that really freaked me out. I feel like I am running out of time and I never want to live my life with regrets........

~ To be Continued ~

Monday 22 November 2010

ケントの新ブログが誕生~!

ケントのバイリンガルブログへようこそ!v(^^)v ~YAY
皆さん~ まだケントの日本語が上手じゃありませんので、日本語の間違いがあったら、教えてください。
どうぞ よろしくお願いします~!m(_ _)m

Hey Everybody, welcome to my first Bilingual Blog! v(^^)v
My Japanese is still in infant stage, so please forgive me if I type any mistakes, and you are welcome to correct me in public or private. So that I could learn better. Thanks in advanced! =D